竹内康光さん、ありがとうございます☆(青木義明)


大井の帝王」の視線の先・前編◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】


9月7日に62歳になった的場文男騎手、一般紙にも掲載されるほどの「地方競馬最多勝記録・7152勝更新フィーバー」もひと段落した。黙々と競馬に打ち込む日々が戻り、9月19日には東京記念をシュテルングランツで逃げ切って最高齢重賞制覇の記録を更新した。かと思えば、翌日のメインもニシノラピートで逃げ切り。来年に持ち越された宿題、東京ダービー制覇に向けて着々と準備を重ねている。今日はシュテルングランツとのコンビで、京都のJBCクラシックに挑む。

古い話になるが、2003年のクラシックロードはナイキゲルマンとのコンビで戦った。ナイキゲルマンはスマートストライク産駒の外国産馬、4歳下の従兄弟にはトップサバトン(北海道2歳優駿・羽田盃・京浜盃)が出た良血馬。この年は同じオーナーのナイキアディライトが、南関東4戦4勝(JRA2戦0勝)で羽田盃に駒を進めてきた。ナイキゲルマンはそこまで9戦3勝の叩き上げ、羽田盃でナイキアディライトと初対決となった。

実はこの2頭が入厩する前に、オーナーサイドが的場文男騎手にどちらに乗りたいのか尋ねていた。ナイキアディライトの母ナイキアラモードは南関東でB1まで出世、的場騎手も騎乗して2勝を挙げてよく知っていた馬。その父スリルショーも交配されたディアブロもスピードが勝ったタイプの種牡馬だった。

的場騎手が選んだナイキゲルマンが大井の蛯名末五郎厩舎、もう一方のナイキアディライトが船橋の出川龍一厩舎に振り分けられた。ナイキアディライトの鞍上は的場騎手の長年のライバル・石崎隆之騎手に決まり、ゲルマンは2歳8月23日・アディライトは2歳9月20日にともに新馬戦を勝利で飾っている。

羽田盃はナイキアディライトが逃げ、ナイキゲルマンは5〜6番手あたりから。的場騎手が追っても追ってもその差は詰まらず、上がりでも0秒2遅れて0秒9差の2着に完敗。その日の最終レースを蛯名末五郎厩舎のホウザングラマーで勝った的場文男騎手は、「ダービーまでの1ヶ月、毎日の稽古でアディライトとの差を1秒詰められるように工夫して乗りたい。」と話してくれた。決して後ろを振り返らず、前だけを見つめる男なのだ。

1ヶ月後の東京ダービーでは、敢えて羽田盃と同じ競馬を試みた。ナイキアディライトは自分ペースで逃げて、ナイキゲルマンはやはり6番手から。東京ダービーでも上がりで0秒2遅れて着差はほぼ変わらずの1秒でまたも2着。それでもレース後はジャパンダートダービーに向けて、次のチャレンジを視界に入れていた。

その2003年は前年に続いてライバル・石崎隆之騎手を前年と同じ5勝差で振り切って2年連続で南関東リーディングを獲得している。しかし翌年は親身に面倒を見た同郷の後輩・内田博幸騎手に7勝差でリーディングを奪われ、内田博幸騎手がJRAに移籍する2007年まで彼の時代が続く。

◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】
http://bit.ly/17MDXV7

◇競馬通信社◇
http://ktsn.jp