【佐藤洋一郎・馬に曳かれて半世紀(27)】弥生3月、馬、さあ佳境


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1973年の日本ダービーを制したタケホープと鞍上の嶋田功騎手。“生涯最高のデキ”で宿敵・ハイセイコーを破った

1973年の日本ダービーを制したタケホープと鞍上の嶋田功騎手。“生涯最高のデキ”で宿敵・ハイセイコーを破った【拡大】

 弥生賞楽勝で華々しく中央デビューした大井の怪物ハイセイコーを、担当の大場博厩務員は「春駒」と呼んだ。弥生3月、地下足袋に手甲・脚絆という昔ながらの厩務員装束で馬を曳いていたシルエットが、競馬場の原風景のように網膜に去来する。

 馬を曳いて駅まで行き、人馬ともに貨物列車に乗り込んでの遠征の旅が半年近く続くときもあった。そんな往時の競馬をしのびつつ、ふと現実に戻ると、「競馬は3月からだよ」という嶋田功騎手の声がする。弥生賞、スプリングS、皐月賞と驀進してきた怪物を退治したヒール(悪漢)タケホープの“乗り役”だ。ダービー当日、競馬には興味がない輝子夫人は幼稚園児の長男を連れて新宿のデパートに出かけた。

 【帰ってたまたまテレビのチャンネルを回したら、ものすごい騒ぎだったでしょう。ハイセイコーが負けた、勝ったのはうちの旦那のタケホープだって。ハイセイコーのファンだった息子は泣きべそかいていたけど、へーそんなもんか、くらいの感想しか持てなかったのね、当時のわたしとしては(笑)】(『競馬通信』収録)。


 その後も宿敵(菊花賞ハナ差のデッドヒート)となるハイセイコーを、嶋田功は“3月(弥生賞)”に強く意識したにちがいない。賞金が足らずに皐月賞には出られなかったものの、JRAの海外研修を断ってナマイキ呼ばわりされながらもタケホープにしがみついた。そしてダービー1カ月前の4歳中距離特別(芝2000メートル)を、血のにじむような執念の手綱(長い写真判定)で制してゲートイン!

 【「あの馬(タケホープ)が生涯を通じて最高の状態になったのはダービーでしたね。急に良くなったのでわたし自身、びっくりしました。イサオの執念が乗り移ったみたいで背筋が寒くなったくらいです」

 後日、稲葉幸夫調教師がしみじみ述懐しているように、タケホープのダービーは「ダービーをとるために騎手になった嶋田功自身のダービー」でもあった。レース3日前の追い切りを終えて小天狗(騎手控え室)に引き揚げてきた北海道三石嶋田牧場の“口達者な小伜”はごく数人の親しい記者に真顔でぶちまけた。「今朝の動き見ただろう。時計もすごいけど、こんな追い切りはっきり言って初めてだよ。冗談じゃなくダービーは勝てる。ハイセイコーが四つ脚ならタケホープも四つ脚、負かせない相手じゃないだろう!」

 伝説的な爆弾宣言として知られるこの名言(馬も四つ足、鹿も四つ足と言って鵯越を下りたという山中鹿之助の故事)を、もちろん輝子夫人が知るよしもなかった。それほどの自信をみなぎらせていたダービーにもかかわらず、騎手嶋田功は女房にも息子にも黙ったまま、勝負に赴いた」】(同)


 風たちぬ、いざ生きめやも。堀辰雄の小説やジブリのアニメにも引用されたポール・ヴァレリーの詩の一節「風たちぬ」は、弥生3月の春一番、あるいは春嵐のように突然、巻き起こる。

 「洋一郎18日中山10R3連単136万8150円 馬単14万4880円◎→△△→★」

 という大見出しが手元のサンスポ競馬面の左肩に大きく躍っている。そう、今年はじめての7桁配当的中、春一番がフジテレビ賞スプリングSの前座、10R千葉Sで吹き荒れたのだ。

 「やりましたねえ超大穴、おめでとうございます。で、いくらとりましたか?」

 早速、寺島先生から祝電(話)があり、野口孝調教師に招待されている21日の浦和・桜花賞観戦後に、長男(寛仁)の調教師試験合格の祝杯もかねて「一杯やりましょう!」

 その直後に、畏友青木義明から別件もかねての祝電が入った。「読みましたよ、馬に曳かれて半世紀。先週はなぜか無料配信になったでしょう。懐かしいですねえ、佐藤洋一郎に挑戦の予想コンテスト。羽根木さん、元気ですか…」

 「競馬は文化であり科学である」をスローガンに『週刊競馬通信』を立ち上げた青木が、最初に手書き(ガリ版刷り)の冊子を記者宛に送ってきたのはいつだったか。

 「血統にのめり込んで都庁職員をやめて1981年に通信を出して、はじめは無料でメディアや生産者や調教師などに送っていたんです。その名もない血統週刊誌を、佐藤さんがサンスポのコラムで紹介してくれたんですよ。それを読んだ無名の若者たちが門を叩きましてね。加藤栄、栗山求、望田潤、斉藤空也などが社員になって、思い切って有料の週刊誌にしたんです。その後、やはりサンスポで見たという田端到、山本一生、笠雄二郎とか、専門誌にいた竹内康光、西山牧場の御曹司西山茂行さんもライターに加って、血統書や翻訳ものなど書籍もずいぶん出版しました。もちろん佐藤さんにも書いてもらいましたが、なんと言っても、競馬通信を世に出してくれた産みの親は佐藤さんなんです」


 遠い昔にそんなことがあったんだと、記憶の埒外にあった創刊当時に想いを馳せつつ、久しく会っていないトーダイ出の石油屋(当時)の山本一生の大書(翻訳)『クラシック馬の追求』(ケン・マクリーン)も競馬通信社出版だったことを思い出した。さらにメルマガとして再生した通信社と歩調を合わせるように復活、躍進ののろしをあげている「穴馬仕出し牧場」の変化と新生の足跡にも荷担(予想&馬券で)していることに気がついた。青木の実績を評価して今年生まれる40頭前後の配合をすべて負かせたという西山牧場は、青木の助言もあって導入したというネロとセイウンコウセイ(昨年会心の◎)の2頭でG1高松宮記念に挑む。新たな風がたち、潮流が生じるかもしれない弥生・3月、半世紀オヤジの競馬もいよいよ佳境に入ってきた。



佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)

 サンケイスポーツ記者。早大中退後、様々な職を転々とするなかサンスポの読者予想コンテストで優勝。71年にエイトの創刊要員として産経新聞社へ。サンスポの駆け出し記者時代に大橋巨泉の番記者に抜擢されたのが大きな転機に。季節・馬場・展開の3要素を予想に取り入れ数々の万馬券をヒットさせ、鬼才と呼ばれる。