高知の賞金◆沢田準の競馬を楽しく

グリーンチャンネルの「地・中・海ケイバモード」で以前に赤岡修次騎手と吉原寛人騎手の対談があったが、このなかで赤岡騎手が高知の売り上げが1日4000万円に下がりなかなか短期免許で南関東に挑戦する思いにはならなかった、という話があった。

かつての競馬ブームは中央だけではなく地方にも波及し、各競馬場の売り上げは上昇一途だった。各地の主要レースの賞金は今では考えられない額となった。

全国統一レース→統一グレードレースは賞金が高いからこれを除いても、道営記念は1997年に1着賞金が3000万、みちのく大賞典は1990年から1999年まで2000万である。

南関東はもちろん高賞金だが大井記念と東京記念は1992年と1993年で4500万、東京ダービーは同じく1992年と1993年が6800万円、現在は廃止されているグランドチャンピオン2000はやはりこの2年が最も高く5800万である。

他地区でも金沢では統一グレードとなる前のサラブレッドチャレンジカップが1992年から1998年で1700万円のほか、白山大賞典1995年と1996年に2100万、百万石賞、北国王冠、中日杯は1992年から2000年の間が1050万。

高賞金レースの少ない笠松にも1992年1993年に1700万という東海ゴールドカップがあり、名古屋の東海桜花賞、東海菊花賞、名古屋優駿は1974年あたりから1000万を超えその後は2000万に達している。

そして高知、最高賞金レースである高知県知事賞は1995年に1200万がピークでその前後の年でも800万から1000万である。

これを見るとブームのピークは1992年から1997年あたりであることがわかる。その象徴が1996年の新盛岡競馬場開設である。

しかしその後競馬人気は急激に低下する。道営記念は1999年に2500万、2000年に1500万、2002年に1000万とピークの三分の一となり現在まで続く。

廃止直前までいった岩手では、みちのく大賞典は2000年に1500万、その後は毎年のように低下し2008年に500万となりこれも現在まで同じだ。

古馬の主要レースである不来方賞、北上川大賞典、桐花賞は1500万という時期が長かったが、桐花賞は500万、不来方賞と北上川大賞典は300万にまで下がった。

百万石賞、北国王冠、中日杯は一時300万、東海ゴールドカップは250万、東海桜花賞も250万、東海菊花賞は300万。いずれもピーク時から半減どころか数分の一であり、廃止された競馬場が続出したのも無理ないと思われる数値だ。

高知県知事賞は1999年から2001年は500万、2002年に250万、2003年に175万、2005年に150万、2006年に135万とピーク時の10パーセント余りと考えられないような低下である。

高知の場合、他のレースはさらに深刻となる。2007年から2012年にかけて黒潮皐月賞、高知優駿、黒潮菊花賞などは1着賞金わずか27万と、とても重賞の1着賞金とは言えない額である。

赤岡騎手が2007年のワールドスーパージョッキーで活躍し南関の調教師などから声を掛けられたが、このような高知競馬の低調な時期ではとても他には行けなかったというわけなのである。

しかしその後競馬人気はやや復調の気配を見せる。特に高知は毎年かなりの上昇となり、27万だった黒潮皐月賞、黒潮菊花賞は今年は160万と急激にアップとなった。

特に高知優駿は昨年の100万から今年はなんと500万である。これは地方のダービーシリーズに加わったことによる増額と思えるが、それにしても馬券売り上げが好調でなくではダービーシリーズに入ることなどできないのである。

高知以外でも賞金が徐々にアップしている競馬場もある。売り上げアップの要因はネットによる発売が主な要因のようだ。どこまで戻すことができるか注目である。




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