高校時代は「暗黒」、でもそれあっての今 田中理恵さん




2017年8月17日 19時33分
朝日新聞デジタル



■甲子園観戦記 元体操選手・田中理恵さん

 東京ドームでプロ野球の始球式をさせてもらったことはあるけど、甲子園は雰囲気が全然違う。ブラスバンドの演奏の影響かなあ。若さというか、エネルギーを感じます。

 今年1月に結婚し、旦那さんがスポーツ好きな影響で野球中継をよく見るようになりました。和歌山出身なので、智弁和歌山は、6点差を逆転した初戦もテレビで見ました。思っていたより地元の選手が多いですね。対戦相手の大阪桐蔭にも和歌山出身の選手が何人かいる。地元というだけで応援したくなります。

 4万7千人も観客が入ってるんですか! 体操は国内で一番大きな大会でも数千人。五輪でもこんなに大勢の前で演技することはありません。それでも、大きな拍手を浴びるのは快感でした。高校球児がうらやましいなあ。

 私の高校3年間は暗黒時代でした。中学3年の全国大会で個人総合3位に入って、2年後の2004年アテネ五輪を目指そうと思った矢先に、左足首の遊離軟骨のせいで練習できなくなった。ストレスで、から揚げや菓子パンを隠れて食べていたうえ、月経も始まって体重は1年弱で10キロも増えました。体が重くて新しい技もできないし、やる気も起きない。

 両親は体操の指導者で、兄の和仁(ロンドン五輪男子団体銀メダリスト)と弟の佑典(リオデジャネイロ五輪男子団体金メダリスト)は当時から、その世代のトップ選手。家族や体操への反抗心から高校2年の時、茶髪にしました。家に帰ったら、父から新聞紙やテレビのリモコンが飛んできた。父は私が通っていた和歌山北高の生活指導教諭だったんです(笑)。

 練習を1カ月、ボイコットしたこともありました。それでもやめなかったのは、根が体操好きだったから。体が動かないなりに、車輪や倒立などの基礎練習は続けていました。そんな姿を見て「この子はまだやれる」と思った強豪の日体大の指導者から声をかけてもらった。進学を迷っていたら、弟から「そろそろ本気出したら?」と言われた。あれは心に響きましたね。私の転機になりました。

 1点差で大阪桐蔭が勝ったけど、最後の最後までドキドキさせてもらいました。智弁の投手が泣きながらクールダウンをしている。一夏にかけてきたんだろうな。熱くなれる高校時代がうらやましい。あの頃に戻ってやり直したい? それはないです。高校時代にさぼったからこそ、体操女子では遅咲きといわれる20代でピークを迎えて注目してもらったし、3きょうだいそろって五輪に出られたので。(構成・金島淑華)

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 たなか・りえ 1987年、和歌山県出身。6歳で体操を始め、25歳だった2012年ロンドン五輪に兄和仁、弟佑典とともに出場した。13年に現役引退。現在は20年東京五輪・パラリンピック組織委員会理事。