ナナコフィーバー◆斉藤空也【22世紀の競馬を望む】

藤田菜七子騎手のフィーバーが続いている。
一番良くないのは二項対立となり、いいか悪いかの話になってしまうこと。そこを念頭に触れておきたいと思う。

キュートな容姿とJRAとしては待望の女性騎手とあって、報道は加熱気味だ。
こういう時に、フジサンケイグループの悪い癖が出てくる。よいしょして、着飾らせて、無理やりアイドルにしようとするからだ。これは競馬のみならず他のスポーツにもいえることで、この局がスポンサーになった競技はだいたい選手が割をくうことになる。

自分が国体練習会に参加していたころ、監督からは「同じかちょっと落ちるくらいの差なら下の学年(の選手)を使う」と上級生は叱咤されていた。
これで卒業だから、先輩だから、大学進学がかかっているから等々、試合とは関係のない理由でチーム構成を決めないということをはっきりと伝えていたのだ。
そしてもう一つが伸びしろという点。体力や経験というどうしても下級生が劣っているものを差し引いても上級生が決定的な差をつけられないのであれば、その経験を積ませるために伸びしろのある選手を使うのはチームにとって公益であるということも明白だ。
そしてなによりも、そうしたメッセージが日々の練習に集中と緊張感を産む。このことが一番重要だったのだなと今では理解できる。

実際、国体のような重要な試合ではなかったが、ある練習試合でこれまでマネージャーとして裏方を務めてきた選手の最後の試合があった。
この時に呼ばれた僕が伝えられたのは「組み立ててこい」ということだった。
キーパーから攻撃に転じる最初のパスの大半は僕が受け取っていた。つまり、僕からの最初のパスがゴールへの道筋を決定する。つまり、難易度があがっても彼がゴールを決める確率が高い組み立てをしろという指示だった。
通常はもっとも得点しやすい形(イメージ)を選択するのだが、この時は彼を中心に行い、3回の機会をつくり、彼はシュートを決めた。
監督も決して、勝負にだけフォーカスしていたのではない。人づくりとしてそういう環境をつくってくれていたのだなと今は感じている。


かつて、僕が新人騎手としてピックアップした松永幹騎手、角田騎手、岡騎手、藤田騎手、佐藤哲騎手らは総じて5~6月にこの騎手たちは違うなと思わせるシーンを見せてくれた。
共通していたのはSpirit。体力や経験は劣っていても魂は負けていない。正々堂々と戦うそんなアクションが見られたからこそ、僕は責任をもって彼らを推奨した。
藤田菜七子騎手にもSpiritを感じるところはある。可能性もあるし、新人としては高いレベルでデビューしたと思うし、いくつかの輝く才能を観察することもできる。
でも、かつての女性騎手たちもそうであったように戦うための体がまだ不十分。その基礎を今こそしっかりとやるべきだと思う。日本人は未経験者が多いからか誤解があり技を偏愛する癖がある。心技体のうち、スポーツの土台で最重要なのは「体」。次が「心」で最後の最後が「技」。この順番を間違えてはいけない。

この点で、現状の報道は彼女にとってマイナスであると思う。取材や収録よりもトレーニングに集中する時間を彼女に与え、その環境を周囲は守っていくことが重要ではないかとみている。なぜならば、年齢的にまだ成長期にある可能性があり、ほんの少しの身体成長に対してバランス感覚を少しずつ微調整させていかなくてはならないからだ。
その意味でも彼女の基礎力をあげるためのフィジカルトレーナーは本当に優秀な人がつくべきだし、優秀なメンタルのトレーナーからも学ぶべきだと思う。

すぐにテクニックの話をマニアックにする論評もこの国のスポーツ文化におけるメディアレベルの低さゆえだと思う。
追いかけ、密着取材をし、オリンピックの前に呪いのように四回転だトリプルアクセルだと連呼するメディアの言葉に呪われたかのように涙を流した選手たち。
オリンピック本番で非公開練習の隠し撮りをされたり、脚本通りのコメントを要求されるような選手たち。
そんな人生の大事な瞬間を無神経なメディアに侵されないような環境づくりを周囲の大人たちには期待したいと思う。
というわけで、藤田菜七子騎手がいつ勝つかというような話題は、そもそもおかしいと思う。
彼女が勝つ日も、世界的な騎手になるかどうかも彼女がその手で得るもので、我々はただ見守るのみ。
彼女が与えてくれるであろう感動を最初から見返りとして要求するのは、明確に誤った思考である。真の感動は予定調和にはない。
だから競馬は面白い・・はずなのだ。


◆斉藤空也【22世紀の競馬を望む】
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