斎藤空也さん、ありがとう☆安田記念に見るG1のそもそも◆斉藤空也【22世紀の競馬を望む】

今年の安田記念も上がり馬モーリスが除外候補の一頭となって議論を呼んでいる。クラレントが実際に除外されているように、旬の4歳馬がクラス編成という事務処理上の問題で出走自体が出来ないということは、明らかに問題であり、改悪といえる選択であったとも指摘されるだろう。

さて、このクラス問題のそもそもは「競馬のスケジュールはダービーからダービーであるべき」という理念から端を発している。この理念を貫くのであれば、本来はダービーを今開催の最終週へと変更すれば良かったのである。ところが、ダービーを最終週にすると

・NHKマイル組が安田記念に出れない(連闘になる)
・梅雨に近づくので雨天率が上がるのはダービーにふさわしくない

という戦術的な意見から却下されたというのが概ね説明されてきたことだ。つまり「ダービーの為に安田記念がそうなっても仕方ないよね」と両立できないことに対して逃げてしまったわけだ。
ここは判断が分かれるところではあるのだが、実は戦術的なメリット、デメリットというのはそういうものである。解はなく、実行者は責任を負うのみ。日本のよくあるこの手の問題は、言い出しっぺが全体責任であるかのように逃げて、自らの言動、行動に責を負うことがないという部分なのだろう。

で、実はこの問題は「戦略」として思考する必要がある。そして、戦略思考として見た場合のここでのテーマは「G1とは何か?」ということである。

競馬の歴史を紐解いていく場合にG1の定義はシンプルで、ダービー馬からダービー馬の格言通りに、その存在は「優れた種牡馬(繁殖牝馬)の選定」に他ならない。その為に2400m、2000m、1600mの距離を大事にするし、そのG1レースはフェアなコース設定で行われることも同時に重要視され、トラックバイアスのひどいコースや設定は回避されることとなる。

と・こ・ろ・が、JRAにおけるG1戦略は決してそうではない。馬券発売に主眼が置かれ「10週連続!」と言ったコピーが重視される。その為にはトラックバイアスがひどいコースでもお構いなしという傾向は今も昔も変わらない。

だから、安田記念勝ち馬から優秀な種牡馬が生まれてきたり、そこから欧州マイル路線への海外遠征となるような想定はまずしない。従って、現状のようなG1レースとしての価値そのものが下がってしまうような状況にも無頓着だ。

だって「競馬のスケジュールはダービーからダービーであるべき」という有力馬主やメディアの意見を叶えたらこうなっただけで、自分たちの責任じゃないから・・という言い訳も完備されているから。

二項対立でどちらがいいか悪いかという話ではなく、我々、競馬ファンはどう選択するかということがこの問題では問われている。

よく「問題だ!」「改善すべきだ!」で終わる話は目にするが、これは一方的に投げつける解決しない伝え方だ。

対案、代案を提示して終わるのが真のジャーナリズムということもメディアに携わる人々は自己認識する必要がある。対案や代案、提案に組むべきものがあれば、見る人はきちんと見ている。JRAにも馬主会にもアイデアを拾える優れた人がいるという認識は信じていいだろう。これまでも安田記念は仮柵によるトラックバイアスをはじめとして様々なしわ寄せを受けてきたレースでもあるが、改善を繰り返されてきたレースでもあることを思い出そう。

次回は、安田記念が東京1600mという力勝負に稀有な設定を活かしたG1らしいG1である為にどうすべきか、興行としても種牡馬選定としても優れたレースに安田記念を出来るかどうか。制限、制約を外して考察してみようと思う。


◆斉藤空也【22世紀の競馬を望む】
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