青木義明です。去る10月中旬、高校の同窓会が開かれました。1967年(昭和42年)3月に卒業後、47年ぶりの再会。20数名が集まり、楽しいひと時でした。後日、呼びかけ人の幹事が送ってくれた「卒業文集」のコピー原文を妊娠中の長女にパソコン入力してもらいました。

当時の小生はまだ17歳。しかし、その文章に改めて接してみると、65歳になってなお未熟で、自堕落な生活に埋没している現状を糾弾し、告発される思いです。あのころの自分に戻らなければいけない…。参考までに「省察」と題した一文をお送りします。

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◆省察

(群馬県立利根農林高校工業課程土木課)
三年 青木義明


今朝あたりは小雪がちらつき、冬も盛りになった。そしてまもなく卒業シーズンである。過ぎしわが三年間を回顧し、また未来に心おどらせるこの頃である。

 そこで、心に浮んで来るいくつかの事を、思うままに拾い上げてみよう。私事を書くなどして失礼とは思うが、後輩諸君に役立つこともあるだろうと感じるからである。

 土木科に学んで、最初何もわからないのは誰でも同じであろう。まして、数学ができないで入るとなおさらである。

 私は、中学時代の通知簿の数学の所に、1の数字を見たほどだった。だから応用力学や測量などは全くわからなかった。入学当初のテストに零点があったことを思い出す。しかし、人に遅れまいとして、わかるまでがんばった。

 毎晩一時前に寝た記憶はない。力の合成や分解の公式が理解できた晩や、断面一次モーメントがわかった晩などの嬉しさは、いまだに忘れられない。無心にがんばったあの頃がなつかしい。こういう事は誰でも経験するだろう。

 学生時代のなつかしい映像として、いつまでも心の中に残ることを思えば、今の苦労などは、憂うものではない。喜びがあるから、苦労も、努力も、楽しいものなのだ。

 「努力に勝る天才なし」とよく言われるが、まさにそのとおり。最初から何でもできる人はありえない。だから、誰だって、努力さえすれば、それがわかりそれが出来るという可能性をもっている。

 しかし、そうわかっていても、若いわれわれにとっては容易に実行できないのが現実である。強い克己心も必要だし、住んでいる環境の影響などもあってなかなかやる気になれない。

こう考えると、教育者の存在する意義は大きい。先生あっての我々である。土木科の科長は剣持先生で、徹底的に指導し、われらを強く引張って下さった。その熱意は人の想像するところではない。そのせいか、先生はよく怒る人でもあった。少なからず、それに反發心を覚えたけれど、けっしていじけはしなかった。かえって、それを勉強に昇華した。今、先生を想うと自然に頭が下がってくる。

 土木科には、測量士の国家試験、計算尺検定試験、就職や国家公務員の試験などの、大きな山が、ふだんのむずかしい勉強の野原の中に、適当な間隔を置いてそびえ立っている。

 これは、よく考えるとほんとうに有難い。この山の一つ一つに全力を傾けて対処したことで、精神力も知力もだいぶ鍛えられた。そこを、いやがらずに登ると必ず大きなものが得られると確信する。人生万般にもそう言えよう。

 何でも体験することは非常に大切だろう。それらに、力の限りを尽くすことは、たとえ失敗に終っても、必ず自分を磨き高める。若さで思う存分ぶつかることだ。しかし、無策ではいけない。

 土木科の生徒は、専門科目をよくやって一般教養科目はあまり熱心ではないと言われる。これは科の特殊性もあるので、ある程度はしかたない。しかし、人間らしく生きるに、それでは、いけない。自分はこんなことをして来た。

 中学以来、英語や国語が得意だったこともあって、それに又、大好きだったから、ラジオの基礎英語や英会話などを一年以上聞いた。又、やさしい英語の読み物を数冊読んだ。英語検定三級に合格した時、「やって良かったな」と思った。外国語を学ぶ意義は大きい。

 それから、内外の文学書、各種教養書を多く読んだ。この間、百冊を超えた。読書して思索することは、精神に栄養となって作用する。読むなら良書を選んだ方がいい。本なんてつまらない、と思う人ほどつまらない人間はない。

 「本を読み終えた今の自分が、昨日の自分と比べて、別人になったと感ずるであろう。」と小泉信三氏は言っている。味わい深いものだ。青春も人生も二度とないのだ。

 また、新聞をよく読んだ。社説や評論などはスクラップを作り、その要旨をノートにまとめた。だいぶ読解力がついた。毛沢東首席は、農民運動の最中、新聞を丹念に読んで、現実を忘れなかったと言われる。自分で思索したことを、現実に照らして進むとより確実になる。

 二年生の頃から日記を書いている。自分を反省し、また自分を知るために役立つ。じっくり思索して、考え方を養い、物を発言するのに役立てて来た。

 ここで回顧から離れ、今にもどろう。そして自分の三年間を総括すると、こうだろう。「自分は自分の境遇において、最善の努力を尽くして来たつもりである。苦難に際した時、自分を励まし、自分を信じた精神が、今日の私を私とさせたのだ。」

 そして、こう自分に言い聞かせている。「慢心してはいけない。これでいいわけはないんだ。もっともっと努力しよう。」と。